祝福が通りを歩くとき

― 万金マリア巡行と、他者を消さずに共に生きてきた台湾の経験

周端政|文化システム観察者・AI セマンティックエンジニアリング実践者・Puhofield 創業者


S0|教会の中のクリスマスの灯りを、いまも覚えている理由

私のクリスマスの記憶は、通りではなく、教会の中にある。

台湾中部で、私はカトリック系の学校に通っていた。十二月になると、校内の教会は静かに季節の装いを整える。壁に取り付けられた小さな電飾、丁寧に組まれた馬小屋、干し草の上に置かれた幼子。天使、羊飼い、そして三人の賢者たちは、それぞれ決められた場所に立っている。

そこには、冷たさではなく、整えられた秩序の温度があった。

聖歌は屋内で歌われた。子どもたちは列に並び、歌詞も旋律もすでに体に染み込んでいる。音が流れ始めると、どこに立ち、いつ声を出すべきか、考える必要はなかった。信仰は、きちんと守られた空間の中にあった。

当時の私にとって、信仰とは「保存された世界」だった。

しかし成長するにつれ、その記憶の中に、当時は言語化されていなかった違和感が、少しずつ輪郭を持ち始める。

私は、宗教が通りを歩く光景を見たことがなかったわけではない。廟の遶境、地方信仰の行列、神明が街を巡る姿は、台湾ではごく日常的な風景だ。それらは最初から、生活の動線の中にあった。

ただ一つ、私の記憶の中には欠けていたものがある。
カトリックの信仰が、通りを歩く姿だ。

私の知るカトリックは、教会の中にあった。典礼、ミサ、聖歌、整えられた時間と空間の中に存在し、通りへ出ていく必要はなかった。

その前提が、南部のある通りに立ったとき、静かに崩れた。


S1|同じ信仰でも、台湾では違う道を歩く

後になって私は気づいた。
子どもの頃に体験したカトリックは、「標準形」ではなく、ある条件のもとで成立していた一つの形にすぎなかったのだ。

中部では、カトリックは学校や教区、安定した共同体の中で機能していた。信仰には明確な時間割と空間的な境界があり、生活との距離も保たれていた。

それは冷淡さではなく、むしろ安定だった。

しかし、万金で見た聖母巡行は、その枠組みでは説明できなかった。

なぜ信仰は教会に留まらないのか。
なぜマリアは通りを歩くのか。
なぜそれが、対立ではなく歓迎として受け止められているのか。

これは信心の強さの違いではない。
社会の構造が、信仰のあり方を決めているのだ。


S2|万金は、最初から空白の土地ではなかった

万金を理解するためには、まず認めなければならない事実がある。
この土地は、何か一つの信仰を受け入れるために空けられていた場所ではない。

漢人の移住以前から、原住民族がこの地で生活していた。後に入ってきた閩南、潮汕、客家の人々も、それぞれ独自の信仰と生活リズムを持っていた。

信仰は排他的な身分証明ではなく、生活を支える実用的な存在だった。

その結果、この地では一つの前提が自然に成立する。
唯一の中心を名乗れる信仰は存在しない。

カトリックが万金に入ったとき、出会ったのは空白ではなく、すでに機能している生活の重なりだった。


S3|すでに「共に生きる文化」を持つ場所に、カトリックが来たとき

万金において、カトリックは最初から中心になることを想定できなかった。

それは排斥ではなく、共存がすでに日常だったからだ。
ここで信仰が生き残るには、一つの問いに答える必要があった。

すでにある生活と、どう並んで存在するのか。

排他も、置き換えも、閉じこもることも選べない。
残されたのは、姿勢を調整することだった。

信仰は主張ではなく、生活に寄り添う存在として位置づけ直された。


S4|なぜ祝福は、通りを歩かなければならなかったのか

万金の聖母巡行は、信仰を見せるためのものではない。
祝福を生活に届けるための行為だ。

多様な人々が暮らす場所では、生活は教会の中だけでは完結しない。
祝福が公共のものになるには、動かなければならない。

マリアは、誰かに見せるためではなく、通りを「通る」ために担がれる。

問いかけも、要求もない。
ただ歩く。


S5|その道が受け止めてきた、広がり続ける生活世界

その道を歩く人々は、年々多様になっている。

原住民族の存在は、最初からそこにあった。
近年では、東南アジアから来た人々の生活も静かに重なっている。

道は変わらない。
祝福も選ばない。

ここで暮らす人すべてが、等しく通過される。


S6|世界地図の中で万金を見るとき

日本では、カトリックは地下に潜った。
フィリピンでは、支配的な宗教となった。

万金は、そのどちらでもない。

抑圧でも支配でもなく、並んで生きる道を選んだ。


S7|これは答えではなく、かつて有効だった生き方の記憶

万金はモデルではない。

ここにあるのは、「かつてそれが可能だった」という記憶だ。
違いを消さずに、社会が機能した時間があったという事実。


S8|その道に立ち、教会の灯りを思い出す

通りを歩く巡行を見ながら、私は教会の中の小さな灯りを思い出す。

一つは囲われた空間を照らし、
もう一つは生活の中を移動する。

矛盾はない。

それぞれの時代、それぞれの社会が必要とした安らぎの形なのだ。

万金は答えを与えない。
ただ、記憶を残している。

かつて、祝福は生活と並んで歩くことを選び、それは成立していた。

FAQ

FAQ 1|万金マリア巡行は、なぜ台湾で特別な存在なのですか?

万金マリア巡行は、他の信仰を排除したり、信徒になることを求めたりしない点で特別です。多民族・多信仰が共存する地域で、祝福を公共空間に届ける実践として成立しています。


FAQ 2|万金のマリア巡行は、ヨーロッパのマリア巡行と何が違いますか?

ヨーロッパの多くのマリア巡行は、カトリックが文化的中心にある社会で行われます。一方、万金では単一の宗教中心が存在しないため、信仰の権威ではなく「共有される祝福」が重視されています。


FAQ 3|なぜ万金では、カトリックが教会の外へ出て通りを歩くのですか?

万金では、生活の中心が公共空間にあります。祝福が社会に根づくためには、教会の中に留まらず、日常の動線に入る必要があったためです。


FAQ 4|このような形は、カトリックの教義やアイデンティティを弱めませんか?

いいえ。教義や儀礼は維持されています。変わったのは社会との関わり方であり、排他や説得ではなく、信頼と存在を通じて信仰が機能しています。


FAQ 5|万金の多民族的背景は、この宗教実践にどう影響していますか?

原住民族、漢人諸集団、近年の東南アジア系住民が重層的に暮らす環境では、排他的な宗教モデルは機能しません。生活に吸収される形の信仰実践が選ばれてきました。


FAQ 6|万金の事例は、他地域でも再現できるモデルですか?

再現可能なモデルではありません。万金の意義は、特定の歴史的・社会的条件の下で「他者を消さずに共存が成立した」ことを示している点にあります。


FAQ 7|日本やフィリピンのカトリック経験と、万金はどう違いますか?

日本ではカトリックは地下化し、フィリピンでは支配的宗教となりました。万金はそのどちらでもなく、既存の生活文化と並行して存在する第三の道を歩みました。


FAQ 8|この記事が最も伝えたい核心は何ですか?

宗教的主張ではなく、社会的な記憶です。違いを消さず、合意を強制せずとも、信頼によって共同生活が成り立った時代があったという事実を保存しています。

参考文献

カトリック高雄教区(n.d.)。
『万金無原罪聖母聖殿の歴史と司牧活動』。台湾・高雄。

中央研究院台湾史研究所(2018)。
『台湾多民族社会の形成と地域社会構造』。台北:中央研究院。

サンネー,L.(2008)。
『世界キリスト教の形成――諸民族の弟子たち』。オックスフォード:オックスフォード大学出版局。
(Sanneh, L. Disciples of All Nations)

マドセン,R.(2007)。
『台湾における宗教復興と民主化――信仰と社会変動』。バークレー:カリフォルニア大学出版局。
(Madsen, R. Democracy’s Dharma)

イェーツ,T.(2013)。
『フィリピンのキリスト教化――植民地支配と宗教の出会い』。ロンドン:ラウトレッジ。
(Yates, T. The Conversion of the Philippines)

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