努力の問題ではない──その場所に、もう人が必要とされていないだけだ
努力の問題ではない──その場所に、もう人が必要とされていないだけだ
周端政(Nelson Chou)|文化システム観察者・AIセマンティックエンジニアリング実践者・Puhofield 創辦人
S0|光華商場の、ありふれていない夜
その夜、私は台北の光華商場にいた。
手にしていたのは、iPhone 16 Pro Max。
少し前、フィリピンへの渡航中に何度かぶつけてしまい、
本体は無事だったが、画面の保護フィルムにはひびが入っていた。
だが、その「ひび」こそが重要だった。
衝撃を受け止めたのはフィルムであり、
中身――本体そのものは、守られていた。
私は五階にある「小豪包膜」を訪れた。
この種の作業は、自分で貼って終わるものではない。
フィルムと画面のあいだには、衝撃吸収用のゲル層があり、
わずかな埃や角度のズレが、仕上がりを大きく左右する。
必要なのは道具ではなく、環境と経験だった。
スマートフォンを手渡すと、
「三十分後に取りに来てください」
それだけだった。
待ち時間ができたので、
もう一つ、小さな用事を思い出した。
車のリモコンキーに使っている電池は CR1632。
メイン、予備、カード型――すべて同じ型番だ。
せっかく光華商場に来ているのだから、
簡単に手に入るだろうと思った。
六階から一階まで、
電子部品店、アクセサリー売り場、専門カウンターを回った。
答えは、どこも同じだった。
「その型番は置いていません。」
私はスマートフォンを取り出し、AIに尋ねた。
近くでCR1632が買える場所はどこか。
返ってきた答えは自信に満ちていた。
通りの向かい側。徒歩五分。
電池専門店がある、と。
案内された店に入って聞いてみると、
その店にも在庫はなかった。
私は静かに引き返した。
光華商場の入口で立ち止まり、
スマートフォンでShopeeを開く。
CR1632。
三個。
一個45元。送料込み。
五分もかからなかった。
数日後、自宅近くで受け取れる。
その瞬間、
私は「便利さ」や「価格」の話をしているのではないと気づいた。
何かが、すでに終わっている場所と、
すでに不要になっている役割の輪郭が、
はっきりと見えた夜だった。
S2|教育という、置き場所を失った中間層
この違和感は、電池やスマートフォンだけの話ではない。
まったく同じ構造が、教育の中にも見える。
長いあいだ、教育は「必要な中間層」だった。
知識は限られており、
情報へのアクセスには、訓練された人間の仲介が不可欠だった。
教師は翻訳者であり、
学校は関門であり、
資格は通行証だった。
その構造には、かつて確かな合理性があった。
しかし、情報が検索でき、比較でき、
しかも瞬時に手に入るようになったとき、
その前提は静かに崩れ始めた。
にもかかわらず、多くの教育制度は、
まるで何も変わっていないかのように振る舞い続けている。
関係者は、皆どこかで気づいている。
運営側も、教える側も、
そして学ぶ側も。
それでも、制度は前に進む。
「人気のある授業」
「定員を満たす学科」
そうした指標が、価値の証明として使われ続ける。
そこにAI教育が重ねられる。
ツールの使い方を教える。
最新であることを示す。
だが、もし目的地そのものがずれているのなら、
速度を上げることに意味はない。
どれほど優秀な学生でも、
どれほど高度なツールでも、
誤った位置づけのままでは、
前進すればするほど遠ざかるだけだ。
さらに厄介なのは、
制度の内部インセンティブが、
外部の成果と一致していないことだ。
多くの大学において、
教員が守るべきものは、
学生の将来よりも、評価周期や昇進要件である。
教えることは目的ではなく、
継続するための条件になる。
制度が崩れないのは、
非効率だからではない。
中にいる人々にとって、
まだ「都合がいい」からだ。
だから変化は遅れる。
役割が、
もはや学ぶ側のために機能していなくても、
そこに留まる理由が残っている限り、
中間層は自ら姿を消すことはない。
S3|システムは、もう許可を求めない
その日の昼、私はある研究機関の関係者と食事をしていた。
話題の一つとして、
ごく自然に、しかし決定的な変化が語られた。
研究審査制度の全面的なオンライン化である。
申請、審査、途中評価、最終確認。
これまで対面や紙の書類、
会議という「場」を前提にしてきた手続きが、
急速にデジタルへと移行している。
これは一つの機関だけの判断ではない。
国家レベルで進められている構造的な転換であり、
一度実装されれば、
「参加しない」という選択肢は存在しない。
歓迎する人もいる。
戸惑う人もいる。
黙って従う人が大半だ。
だが、方向性そのものは、
もはや議論の対象ではなくなっている。
この変化によって失われるのは、
審査の厳密さではない。
管理でも、責任でもない。
消えていくのは、
「手続きを演じるための時間」だ。
誰かに書類を手渡す必要はない。
会議に顔を出す必要もない。
知り合いがいるかどうかも、関係なくなる。
システムが見るのは、
入力された情報と、評価基準、
そして記録として残る判断だけだ。
そこに「その場にいる意味」は存在しない。
これは批判ではない。
観察だ。
そして、この構造は、
光華商場で私が体験したことと、
完全に重なっている。
システムが成熟するとき、
それは置き換えられる役割に、
もはや説明も同意も求めない。
ただ、前へ進む。
適応する者は、流れに乗る。
ためらう者も、当面は含まれる。
だが、システムは待たない。
問いは、
デジタル化が来るかどうかではない。
すでに来ている。
問われているのは、
私たちが、
すでに役割を終えた場所に、
なお立ち続けようとしているのかどうか、だ。
S4|それでも消えない仕事がある
すべての役割が、
システムの進化とともに消えていくわけではない。
むしろ、
ある種の仕事は、
変化の中で輪郭がより鮮明になる。
分かれ目は単純だ。
その行為が、
判断を必要とするか。
現場での存在を必要とするか。
結果に対する責任を引き受けるか。
小豪包膜の仕事は、
まさにその条件を満たしている。
この種の画面保護作業は、
「買って持ち帰って終わり」ではない。
フィルムと画面のあいだには、
衝撃を吸収するためのゲル層がある。
圧のかけ方。
角度。
微細な埃。
どれか一つでも誤れば、
仕上がりは台無しになる。
この工程は、
完全に標準化できない。
必要なのは、
手順ではなく感覚だ。
説明書ではなく、
積み重ねられた経験だ。
小豪が提供しているのは、
「便利さ」ではない。
安心だ。
何かが起きたとき、
責任はシステムに溶け込まない。
人のところに残る。
だからこそ、この仕事は残る。
それは中間に立つ役割ではない。
顧客と結果の「あいだ」に立つのではなく、
結果そのものを引き受ける立場だ。
この違いは大きい。
プロセスを仲介する仕事は、
やがて整理される。
だが、
結果に責任を持つ仕事は、
整理されない。
技術が進めば進むほど、
こうした役割は縮小しない。
むしろ、
どこに人が必要なのかを、
よりはっきり示すようになる。
S5|人の価値は、もはや「間に立つこと」ではない
ここまでの出来事を並べてみると、
一つの共通した構造が浮かび上がってくる。
電池を買う行為。
スマートフォンを守る仕事。
審査制度のオンライン化。
教育の中に残る違和感。
それらはすべて、
「人がどこに立つことで価値を持つのか」という問いに、
同じ方向から光を当てている。
かつて、多くの役割は
人とシステムの「あいだ」に立つことで成立していた。
情報へのアクセスを調整し、
手続きを導き、
判断を一時的に預かる。
そうした中間的な立場は、
制約が多い時代には不可欠だった。
だが、その前提は崩れつつある。
情報は直接届き、
手続きは自動で進み、
判断は基準と履歴によって記録される。
システムは、
もはや説明を必要としない。
この環境において、
単に「そこにいる」だけでは、
価値は生まれない。
人間の価値が現れる場所は、
別のところへ移動している。
それは、
標準化できない判断が求められる場。
結果に対する責任を引き受ける場。
不確実性の中で決断を下す場だ。
教育が戸惑うのは、
自らが巨大な中間層として設計されてきたからだ。
その基盤が揺らぐとき、
新しい道具を追加するだけでは、
位置の問題は解決しない。
AIを教えることが、
役割そのものの再定義に代わることはない。
ここで感じられる不安は、
技術への恐れではない。
自分たちが、
どこに立てばいいのか分からなくなっていることへの、
戸惑いなのだ。
S6|その問いに、システムは答えてくれない
ここまで来ると、
この流れを見過ごすことは難しい。
ある役割が姿を消していくのは、
人が無能だからでも、
努力が足りないからでもない。
世界が、
もはやその場所に人を必要としていないだけだ。
この事実を受け入れるのは、簡単ではない。
多くの場合、
人はこう考えたくなる。
もっと学べばいい。
もっと鍛えればいい。
もっと新しいツールを使えばいい、と。
だが、それは
「場所そのもの」が問われているときの、
最も分かりやすい回避でもある。
システムは進化を続ける。
デジタル化は止まらない。
手続きは洗練され、
人の関与を必要としなくなる。
その流れは、
誰かの同意を待つことはない。
残されるのは、
もっと静かな問いだ。
私たちは、
どこに立つのか。
ただ流れの途中に立ち、
受け渡すだけの場所なのか。
それとも、
判断が必要とされ、
責任が引き受けられ、
存在そのものが結果を左右する場所なのか。
これは、
制度や専門性を否定する問いではない。
それらを、
もう一度、正直に見直すための問いだ。
未来は、
人間の価値を消し去るわけではない。
それを、
露わにする。
そして、最後に残るのは、
この選択だ。
自分が占めている位置ではなく、
自分が「在ろうとする場所」を選ぶこと。
S7|なぜ、多くのシステムは変化を「見ないふり」をするのか
この移行がこれほどまでに遅く感じられる理由は、
技術が不足しているからではない。
多くの場合、
それは「分かっていながら見ない」という選択だ。
制度の内部にいる人々は、
すでに変化の兆しを感じ取っている。
信頼の低下。
資格と実力の乖離。
形式的な評価指標が増え続ける一方で、
現場での有効性が薄れていく感覚。
それでも、
変化を正面から認めることは、
別の問題を引き起こす。
もし、その役割が
もはや不可欠ではないと認めてしまえば、
維持されてきた位置づけは、
「公共的な必要」ではなく
「自己保存」のためのものになってしまうからだ。
教育の世界では、
この構造が特に顕著に現れる。
制度は自信に満ちた言葉で語られる。
「不可欠な学び」
「将来に直結する能力」
「時代に即した教育」
そこにAI教育が加えられる。
更新されているという印象を与えるために。
だが、
問われるべきなのはツールではない。
その役割が、
いまも学ぶ側のために機能しているのかどうかだ。
多くの制度において、
内部の評価基準は
外部の成果と一致していない。
審査は回さなければならない。
肩書きは更新されなければならない。
昇進の条件は満たされなければならない。
その結果、
「教えること」そのものが目的ではなくなり、
制度を存続させるための条件へと変わっていく。
これは個人の倫理の問題ではない。
構造の反射神経だ。
自らの存続がかかっているとき、
システムは
それを脅かす証拠から目を逸らすことを学ぶ。
だから変化は、
あらゆる場所で語られながら、
最も変わるべき場所では、
語られないままになる。
S8|立場ではなく、「在り方」を選ぶ
ここまで見てきたことは、
衰退の物語ではない。
それは、選択の物語だ。
システムが変わるたびに、
人間の価値が置かれる場所は、
静かに書き換えられていく。
ある道は閉じ、
別の道が、ようやく見えるようになる。
多くの人が陥りがちなのは、
かつて価値があった場所を、
必死に守ろうとすることだ。
だが、
価値は「守るもの」ではなく、
「移動するもの」でもある。
必要なのは、
知識や経験を捨てることではない。
それらを、
どこに置き直すかを考えることだ。
手続きを仲介する場所から。
流れの途中に立つ位置から。
判断が必要とされる場所へ。
責任が引き受けられる場所へ。
存在そのものが、結果に影響を与える場所へ。
未来は、
標準化できるものを淡々と整理していくだろう。
遅くするためだけの役割は、
理由を告げられることなく、消えていく。
それでも、
人にしか引き受けられない領域は残る。
不確実性の中に立つこと。
失敗の可能性を引き受けること。
決断の重さを、他人やシステムに委ねないこと。
それは懐古ではない。
現実的な人間の役割だ。
最後に残る問いは、
とてもシンプルで、しかし重い。
自分がどこに配置されているかではなく、
自分が、どこに「在ろう」とするのか。
FAQ|
Q1|この文章はテクノロジーやAIに反対しているのですか?
いいえ。反対しているのではありません。本稿は、テクノロジーやAIによって「人間の価値が置かれる場所がどう変わったか」を観察しています。焦点は拒否ではなく、再配置です。
Q2|なぜスマートフォン修理や電池購入の話から、教育の話につながるのですか?
どちらも「中間に立つ役割」が同じ条件下で機能不全を起こしているからです。情報や手続きが直接化されたとき、仲介そのものが価値だった役割は、分野を問わず再定義を迫られます。
Q3|ここで言う「中間層の崩れ」とは何を指していますか?
人とシステムのあいだに立ち、説明・調整・管理を行うこと自体が主な価値だった役割のことです。判断や責任ではなく「介在」が価値だった場合、その役割は静かに不要になります。
Q4|教育はもはや不要だ、という主張ですか?
違います。本稿は教育そのものを否定していません。問題にしているのは、情報仲介として設計された教育の役割が、現在の条件とずれている点です。判断力や責任、現実への接続を育てる教育は、今も不可欠です。
Q5|なぜ小豪包膜の仕事は、代替されないのですか?
そこには標準化できない判断と、結果に対する責任があるからです。単なる作業ではなく、失敗を引き受ける立場に人が立っている限り、その役割はシステムに吸収されません。
Q6|AIは専門性を弱める存在なのでしょうか?
むしろ逆です。AIは「知っていること」よりも、「どの状況で、どう判断するか」「結果に誰が責任を持つか」という専門性を、より鮮明にします。
Q7|「立場ではなく在り方を選ぶ」とは、どういう意味ですか?
肩書きや役職に価値を見出すのではなく、自分の存在が実際に結果へ影響を与える場所を選ぶ、という意味です。見える位置よりも、責任の所在が重要になります。
Q8|この文章は、どんな人に向けて書かれていますか?
教育、研究、専門職、制度の中に身を置きながら、「何かがずれている」と感じている人に向けて書かれています。変化を感覚としては知っているが、言語化できていない人のための文章です。
参考文献・関連文献
※ 日文版では「近年の国際文献+基礎理論」を併置し、
思想的背景が誤解されない構成にしています。
-
オーター,D.(2022)
『The Work of the Future』(MIT Press) -
ブリニョルフソン,E./マカフィー,A.(2014)
『The Second Machine Age』(W. W. Norton) -
サスキンド,R./サスキンド,D.(2015)
『The Future of the Professions』(Oxford University Press) -
OECD(2023)
Education at a Glance 2023
(教育制度と成果の国際比較) -
World Economic Forum(2023)
The Future of Jobs Report 2023 -
アーレント,H.(1958)
『人間の条件(The Human Condition)』 -
ポランニー,M.(1966)
『暗黙知の次元(The Tacit Dimension)』 -
フレイ,C./オズボーン,M.(2017)
The future of employment
Technological Forecasting and Social Change