仏像とは、文明が自らの「心」を可視化しようとした軌跡である
S0 仏像は彫刻史ではなく、文明が歩んできた「心の年代記」である
アジア十一の国立博物館とチェンマイの寺院から読み解く、
文明が「覚醒」をどのように想像し、どのように形に託してきたのか
S1 仏像の前に、人はまず静かになる――私の「最初のまなざし」
私が初めてほんとうに「見つめられている」と感じたのは、荘厳な本堂でも儀礼の場でもなく、子どもの頃の、少し黄昏がかった午後だった。
その日、私は木彫りの千手千眼観音の前に立っていた。幼い私は、その感覚を説明できなかったが、ただ、あの眼と手がこちらに向けられ、同時に私を越えたどこか深い場所を見ている――その確かさだけが胸に残った。
それは威圧でもなく、単なる慈悲でもない。
むしろ、静かに確認されるような感覚だった。
「私はここにいる。あなたもここにいる。そんなに慌てなくていい。」
その一瞬、私は知った。
仏像の前では、人は自然と何かを手放すのだ。
騒がしさ、焦り、そして「強くあらねば」という幼い誇りのようなものまで。
それは信仰というより、もっと素朴で、人間的な反応だった。
後に私は、夢の中で再び「見つめられる」経験をした。
家の仏壇に祀られた関羽が、まるで生きているかのようにふと振り返り、静かな声でひと言だけたずねた。
「さっき騒いでいたのは、お前か?」
雷のような叱責でも裁きでもない。
ただその一言で、空気がすっと静まり返った。
いま思えば、それは「内なる大人に見つめられた」感覚に近い。
仏壇の像の姿が、そのまま心のどこかに鏡のように置かれていたのだと思う。
断片のようだった記憶が、後になって一本の線につながっていった。
私はようやく気づいた。
私にとって仏像との出会いは、経典や教義から始まったのではない。
まず 「見つめられ、静まり、心の奥に触れる身体感覚」 から始まっていたのだ。
そして大人になり、世界を歩くようになってからも、私はあの静けさに何度も出会う。
台北故宮、故宮南院、東京・奈良・京都の国立博物館、
バンコク、チェンマイ、ハノイ、ソウル、シンガポール、香港故宮――。
金箔の剥がれた仏像、木肌のあらわな仏像、
ガラスケースの中の仏像、湿気と香煙の中で息づく仏像。
どの像の前に立っても、幼い頃のあの静けさがふっとよみがえる。
私はただ像を見ているのではない。
この文明が「仏とはどのような姿なのか」と問い、その答えを形に託した瞬間を見ているのだ。
だからこそ、私の関心も「美しく彫られているか」「どの国の様式か」という基準から離れ、より根源的な問いへと向かっていった。
なぜ文明は、覚醒や安らぎという抽象を、具体的な形に託さずにはいられなかったのか。
この第一章は、その問いの入口をただ静かに置いたものだ。
仏像の前で静かになるのは、像のためではない。
心が、自分自身に向き合いはじめるからだ。
そして文明もまた、その静けさを通して、どのように仏を理解し、どのように自分自身を理解しようとしてきたのか――その旅はここから始まる。
S2 文明はなぜ「仏を見る」ようになったのか――不可視から可視への深層変化
仏教の初期において、仏陀には「顔」がなかった。
祇園精舎、菩提樹、法輪、僧団の足跡――
そこには物語も象徴もあったが、仏陀そのものの「姿」はどこにも刻まれていなかった。
人々は空座や足跡をもって覚醒を示し、「悟りとは形にならないもの」だと自然に理解していた。
ところが文明が成熟していくにつれ、人はやがて 抽象を受け止めるための形 を必要とするようになる。それは宗教の要求ではなく、文化そのものの進化だった。ある思想が深まるほど、人はその深さを「見えるもの」「触れられるもの」「記憶できるもの」として残したくなる。
博物館を巡るうちに、私は次第にこの変化を理解するようになった。
初期仏教において「無形」は信念であり、悟りは象徴によって示されるべきものであった。
しかし文明が次の段階へ進むと、「可視の像」そのものが新たな言語となる。
人々は悟りを抽象概念としてだけではなく、人の心が触れられる具体的なかたち として捉えはじめた。
そして、この変化を最も明確に説明できるのが、唯識における「三身」の思想だった。
- 法身――形なき覚性
- 報身――感じ取られる象徴性
- 化身――人に近づくための姿
文明は長い時間をかけて、「無形の仏」を理解する段階から、「形を通して覚性に触れる」段階へと進んでいった。
それは後退ではなく成熟であり、不可視の光を、可視の世界へと翻訳しようとする文明の静かな試みだった。
ガンダーラ、マトゥラー、ギリシア化世界、インドの大地、東アジア、日本、東南アジア――あらゆる文明がそれぞれの段階で、見えないものを見えるようにするための形 を模索していった。
私が博物館で見てきた最初期の仏像は、未熟でありながらも確かな意志を宿していた。
それらは技術の発展ではなく、心が形を必要としはじめた瞬間の証人 だった。
不可視から可視へ。
抽象から感覚へ。
理念から関係へ。
文明が「仏」を見るようになった理由は、技術や政治ではなく、人間の心の成熟そのもの にあった。
S3 アジア十一の国立博物館で見えた――文明が仏をどのように想像してきたか
私が各地の国立博物館を巡るようになると、展示ケースの中に立つ仏像を前に、必ず同じ問いが胸に浮かぶようになった。
「この文明は、仏をどのような姿として信じたのか?」
芸術史の分類ではなく、もっと直感的な観察として。
なぜなら私は気づきはじめていた。
同じ「仏」という名を持ちながら、文明ごとにまったく異なる気配、姿勢、空気をまとった像が生まれているという事実に。
そこには技巧の差ではなく、覚性をどう理解するかという文明の価値観そのもの が刻まれていた。
そうしてアジア十一の国立博物館を歩くなかで、私は六つの文明が示した六つの「仏の答え」を見出すことになる。
ガンダーラ――比例と理性によって覚性を理解した文明
台北故宮や東京国立博物館で初めてガンダーラ仏に出会ったとき、私は思わず立ち尽くした。
顔立ち、鼻梁、巻き髪の rhythm、衣文の重さ――まるでギリシア彫刻がそのままアジアへ歩み入ったかのようだった。
ギリシア化世界において美とは「比率で測れる理性」であり、その理性がそのまま覚性の姿となった。
ガンダーラ仏の前に立つと、祈願を向ける相手というより、透明な理性をもつ一人の覚醒者が、静かにこちらを見つめ返している ように感じられる。
マトゥラーとインド本土――覚性を「生命力」として捉えた文明
北京国博、ハノイ国立歴史博物館、チェンマイ国立博物館で私は、ガンダーラとは全く異なる仏像に出会った。
丸み、柔らかさ、呼吸を含むような量感。
それは静止しているのではなく、生命そのものが脈打つような身体 だった。
インド本土の美学は、智慧を静止した光としてではなく、流れゆくプラーナ(生命エネルギー)そのもの として理解する。
見つめていると、仏像の胸がかすかに上下しているように感じられるほどだ。
グプタ朝――「寂光の線」で覚性を表した文明
ソウル中央博物館、ハノイ、シンガポールの展示室で、私はグプタ期の仏像の前から離れられなくなることがある。
線は限りなく静かで清らか。
眼は細く閉じ、唇はやわらかく結ばれ、肩は揺らがない。
まるで 心が完全に澄みきったとき、自然に現れる姿 のようだった。
グプタ期は東アジアの仏像美学に決定的な影響を残したが、その根底には「覚性とは『寂静の光』である」という深い感覚が横たわっている。
日本――木の呼吸と光によって覚性を捉えた文明
奈良国立博物館で初めて日本の木彫仏を見たとき、私は長い時間、その場から動けなかった。
細部の技巧よりも、光がどのように木の中に宿るか が中心にある。
金箔の痕跡、木肌の呼吸、陰影の落ち方――仏は彫られたのではなく、木から自然に「現れた」 かのようだった。
京都や東京の展示室では、仏像が展示されているのではなく、静かにそこに「生きている」 ように感じられる瞬間がある。
中華文明――覚性を「秩序」で読み解いた文明
台北故宮、北京国博、香港故宮を歩くと、中華文明が仏像に託した答えが見えてくる。
端正、対称、揺るぎない安定。
仏は常に中軸に座し、背光はまるで天命のように広がる。
中華文明は宇宙を「秩序」で理解し、神聖を「端正」で表そうとする。
そのため仏は自然と、世界を鎮める中心の存在 となった。
東南アジア・北タイ――覚性を土地の呼吸とともに捉えた文明
バンコク国立博物館、チェンマイ国立博物館、そしてチェンマイの寺院群で出会った仏像は、他の文明とは全く異なる「場の感覚」をもっていた。
仏は像単体では存在せず、湿気、泥土、龍神、日差し、風、人々の足音――土地そのものとともに息づいている。
龍神は装飾ではなく、この地の古い記憶の継承者であり、仏と並ぶことで、覚性とは大地と共にあること を示していた。
こうして私は、十一の国立博物館を歩くうちに理解した。
文明は仏像をつくっているのではない。
文明は「心とは何か」を仏像という形で語っているのだ。
S4 龍神の前に佇むとき――チェンマイの寺院が教えてくれた「仏の在り方」
博物館が「文明がどのように仏を想像したか」を見せてくれる場所だとすれば、寺院は「人々がどのように仏と共に生きているか」を見せてくれる場所だった。
そのことを最も深く理解できたのが、チェンマイの寺院である。
台北、京都、奈良、ソウル、バンコク、ハノイ、シンガポール、香港――これらの寺院にもそれぞれの空気がある。
だがチェンマイの寺院に流れる空気はまったく別の質を帯びていた。
そこでは仏像は「中心に鎮座する対象」ではなく、場全体の呼吸を静かに整える重心 のように存在していた。
龍神はこの土地が長く抱えてきた記憶の言葉である
初めてワット・チェディルアンの階段を上ったとき、私は思わず足を止めた。
階段の両脇に連なる龍神は、台湾や日本で見慣れた神獣とはまったく違っていた。
それは装飾ではなく、土と雨と時間が彫った「土地の生き物」 のようだった。
龍神は仏を護る存在ではなく、この土地に深く根ざした信仰の記憶そのものであり、仏はその記憶の延長線上に静かに坐していた。
この関係性は、他のどの地域でも見たことがなかった。
「仏が上にある」のではない。
仏と土地が、互いに支え合って場をつくっている。
仏像は中心ではなく、呼吸の節点である
チェンマイの寺院では、仏像のまわりには途切れない動きが流れている。
風、陽光、湿度、香煙、僧侶の足音、観光客の影、回廊を抜ける子どもの声、供花の香り――。
それらすべてが仏像を中心に静かに循環している。
仏像は指揮者ではない。
ただそこに存在することで、場のリズムがゆっくりと整っていく。
博物館が示すのは「仏は何を意味したか」であり、寺院が示すのは「仏はどう生きているか」である。
チェンマイほどその差が鮮明に見える場所はなかった。
なぜ北タイでは龍神が仏の前に置かれるのか
チェンマイの寺院――ワット・チェディルアン、ワット・プラシン、ワット・チェットヨート……。
どこを歩いても、龍神は必ず仏へ向かう道の入口に置かれている。
あるものは威厳を帯び、あるものは静かで、あるものは守護者のように、またあるものは案内者のように。
龍神は仏を飾るためではなく、この地の霊的な文脈を仏へつなぐための「橋」 だった。
龍神は、土地の深層に流れる生命の物語を象徴し、仏はその物語を受けとめる静かな中心として存在する。
仏は土地を征服しない。
土地と共に、呼吸するように存在する。
チェンマイが教えてくれた――仏は「物」ではなく関係である
チェンマイの寺院で私は何度も立ち止まり、その場に生きる人々の姿を見つめた。
大人の後ろを歩きながら塔をめぐる子ども。
木陰でゆっくり読経する年配の女性。
供花を整える僧侶の丁寧な手つき。
旅人が深呼吸し、静かに歩き出す瞬間。
そのどれもが、仏像と場の関係を静かに示していた。
仏像の価値は、どれほど精巧か、どれほど古いか、どれほど貴重か では測れない。
その像が、人と世界をどうつなぎ、その場にどのような静けさを生み出しているか。
チェンマイの寺院は、仏像とは「孤立した物体」ではなく、人と土地と場のあいだに生まれる関係そのもの であることを、私に深く教えてくれた。
S5 不可視から可視へ――仏像が生まれた瞬間は「技術の進化」ではなく、人の心の成熟である
アジアの博物館と寺院を歩いていると、必ず耳にする言葉がある。
「初期仏教には仏像がなかった。」
これは歴史的事実だが、本当に問うべきは次の一点だった。
なぜ、後になって仏像は生まれたのか。
文明の心は、そのとき何を必要としていたのか。
数えきれない仏像を見続けていたある日、私はふと理解した。
仏像が誕生したのは、技術が洗練されたからではない。
政治が後押ししたからでもない。
人の心が、形を必要とする段階へ成熟したからだ。
仏像が生まれる前――人はまだ「形を介して覚性を理解する」準備ができていなかった
初期仏教が仏像を禁じていたわけではない。
ただ、悟りは「形を超えたもの」と理解されていた。
だから、法輪、菩提樹、足跡――抽象的な象徴こそが、最も正しい表現だった。
私は子どもの頃、木彫りの千手観音の前で「見透かされている」と感じた瞬間を思い出す。
あの感覚は、像の形を感じたのではなく、姿を超えた何かに触れた感覚 だった。
初期仏教の世界も、おそらく同じだった。
覚性は、内側の経験であり、外側の像ではなかった。
やがて文明は気づく――抽象の光にも、停まる場所が必要である
文明が次の段階に進んだとき、人はようやくこの事実を認めた。
抽象もまた、形を必要とする。
それは弱さではなく成熟だった。
心は光のように流れるだけではなく、どこかにそっと泊まる場所を求める。
この心理的な転換を、もっとも明確に説明したのが唯識の三身である。
法身 → 報身 → 化身――唯識が示した「仏像が可視化される条件」
唯識の三身は宗教的な教義というより、覚性を理解する「三つの心の段階」だった。
- 法身――形なき本質。悟りは光であり、流動であり、定義できない。
- 報身――形ではないが、気配・姿勢・静けさといった「質感」が生まれる段階。
- 化身――その質感が、ついに「人が理解できる姿」として現れる段階。
仏像は、この化身の段階になってはじめて「可能」となる。
ただの石や木が仏像になったのではない。
文明の心が、「形を通して覚性に触れたい」と静かに願った瞬間、形は自然に立ち上がった。
文明の違いとは、心の地形の違いである
ガンダーラは覚性を「理性の比例」で捉え、インドは「生命力」、グプタは「寂静の光」、日本は「木と光の呼吸」、中華文明は「秩序」、東南アジアは「土地と龍神の呼吸」で理解した。
仏像の差異は技法の差異ではない。
文明が、心をどう理解したかの差異である。
仏像とは、人の心が「見える形へ向かう」成熟の証である
仏像は発明ではなく、文明がある段階に達したとき、自然に生まれた。
人がこう言えるようになったとき――
「私は形を通して、形を超えたものに触れたい」
その瞬間、仏像は生まれた。
不可視から可視へ。
抽象から可感へ。
理念から関係へ。
仏像の誕生は、文明が「心をどのように扱うか」を学んだ証だった。
S6 仏像を見つめ続けて気づいた――私が見ていたのは仏ではなく「人の心」である
アジアの博物館や寺院を巡り、数えきれない仏像を前に立ち続けたある時、私はふと気づいた。
仏像とは答えではなく、「鏡」である。
ガンダーラの展示ケースの前では、文明が初めて覚性を「比例と理性」で理解した痕跡が映り、
チェンマイの龍神の間では、覚性が土地に降りていく姿が映った。
奈良の木彫仏の前では、光が木に宿るように、静寂が人の心に宿っていく様子が見え、
故宮の端正な仏像の前では、秩序が人を支える「基盤」であった文明の記憶が映った。
バンコクやハノイでは、脈打つ生命力が覚性の形そのものであると信じた文明の息づかいがそのまま像に現れていた。
しかし、ある日私ははっきり理解した。
見えていたのは仏像ではない。
そこに映っていたのは「私自身の心」だった。
文明が仏をどう見たかは、文明が「心をどう理解したか」である
十一の国立博物館を歩いてわかったのは、仏像とは彫刻技法の歴史ではなく、文明が「覚醒とは何か」を理解しようとした試みの記録 だということだった。
ある文明は覚性を光と信じ、ある文明はそれを呼吸と捉え、ある文明は寂静、ある文明は秩序、ある文明は生命力、ある文明は大地との共生として感じた。
文明がどんな仏像を選んだかは、人が「どのような心でありたいか」を示す選択だった。
仏像の進化とは、心識の進化である
像を持たなかった時代から、象徴、そして人の姿へ。
これは単なる造形史の変化ではない。心が世界をどう理解するかの変化そのもの だった。
唯識の語彙で言えば、
法身(抽象) → 報身(可感) → 化身(可親近)
という三つの段階が、そのまま仏像史の流れと重なる。
文明が成熟するにつれ、人はこう言えるようになる。
「私は、形を通して、形を超えたものに触れたい。」
その欲求が、仏像をこの世界へ呼び出した。
私が十一の博物館と寺院で見つけたのは――人が「どんな自分でありたいか」という問いだった
ハノイで見た柔らかな微笑の仏、京都で影に溶けていくような仏、チェンマイで龍神とともに息づく仏、故宮で山のように安定した仏――。
それぞれの姿は異なるのに、すべてが同じ場所へ私を連れていった。
「人は、どんな心で生きたいのか?」
仏像とは文明の夢であり、その文明に生きる人々が願った「心の形」だった。
最後に私が学んだのは――仏像を見るとは、心の鏡を見ることだということ
仏像が人を動かすのは、その美しさや技巧のためではない。
仏像を見つめる瞬間、人は自分の心の奥にある問いと向き合う。
私は何を求めているのか?
何に安定を感じるのか?
どんな自分になりたいのか?
チェンマイが教えてくれたのは、仏は単体で存在するものではなく、人・土地・時間・空気のなかで生きる「関係」そのもの だということだった。
そしてあらゆる文明が生み出した仏像は、最終的に一つの場所を指し示していた。
仏を見ているようで、実は「心がどのように在りたいのか」を見ているのだ。
S7 心へと帰る――仏像が教えてくれたのは「仏」ではなく、人そのものだった
アジアの博物館と寺院を歩き続け、数多の仏像と向き合ったあとで、私は静かに理解するようになった。
仏像とは、仏を語るものではない。
人が「どのように生きたいか」を語るものだ。
ハノイで出会った柔らかな微笑、京都で影に溶けるような静けさ、チェンマイで龍神と土地が共に支えた仏、故宮で山のように揺らがない安定。
そのどれもが、仏の特徴を示しているのではなく、文明が「心の理想形」をそこに託した 証だった。
文明が変われば、仏の姿も、静けさも、光も、重心も変わる。
しかし、それらはすべて人が「自分の心をどのように整えたいか」という問い に応じて生まれた形だった。
文明が仏を選ぶのではない――文明の心が「仏の形」を呼び出す
覚性とは何か。
人はどのように安定したいか。
どんな光に自分を重ねたいか。
ガンダーラは理性を、インドは生命力を、グプタは寂静の光を、日本は木の呼吸を、中華文明は秩序を、東南アジアは土地の呼吸を選んだ。
仏像は様式ではなく、「心の価値がどこに置かれたか」の記録 だった。
だから仏像は、信仰よりも「心の理解」を映し出す
仏像が時代を超えて人を動かすのは、宗教的権威のためではない。
仏像を前にした瞬間、人は自分の内側にある問いに触れるからだ。
私は何を恐れ、何を求め、どんな自分でいたいのか。
仏像とは、その問いを映す「心の鏡」であり、その前に立つたび、人は自分という文明に出会う。
最後に残るのは、仏ではなく「あなたは誰になりたいか」という問い
十一の国立博物館、無数の寺院を巡ったあとで、私のなかに残ったのは一つの静かな理解だった。
人は仏像を見るのではない。
自分がどんな心で生きたいかを確かめている。
仏像がどれだけ多様でも、最終的に指し示す場所は同じだった。
「私は、どのような自分になりたいのか。」
そして気づく。
仏とは物でも象徴でもなく、人が自分の心を通して見いだす「在り方」そのもの だということ。
仏像は文明が残した無数のヒントであり、その一つひとつが問うている。
あなたは、どんな光を心の中に灯したいのか。
FAQ
FAQ 1|なぜ初期仏教には仏像が存在しなかったのか?また、後に仏像が生まれたのはなぜか?初期仏教では、覚性は「形を超えたもの」と理解されていたため、法輪・菩提樹・足跡などの象徴が最適な表現と考えられていた。しかし文明の心が成熟し、「抽象を受け止める形」を必要とする段階に達すると、仏像は自然に生まれた。仏像の誕生は技術革新ではなく、心の構造が可視化を求めるようになった成熟の兆し といえる。
FAQ 2|唯識の「三身(法身・報身・化身)」は、仏像の成立とどのように関係するのか?三身は覚性を理解する三つの段階を示す。法身 は不可視の本質、報身 は気質や静けさのような「可感の段階」、化身 は覚性が「人が理解できる姿」として現れる段階。仏像はこの化身の段階で初めて成立し、三身の思想は仏像が可視化される心の条件 を示している。
FAQ 3|文明ごとに仏像の姿が大きく異なるのはなぜか?理由は技法の差ではなく、文明が覚性をどのように理解したかの違い にある。ガンダーラは比例と理性、インドは生命力、グプタは寂静の光、日本は木と光の呼吸、中華文明は秩序、東南アジアは土地や龍神の呼吸を軸に仏を捉えた。仏像は文明が選んだ「心の価値」の可視化である。
FAQ 4|博物館の仏像と寺院の仏像は、何が最も大きく異なるのか?博物館は「文明が仏をどう解釈したか」を示し、寺院は「人々が仏とどう共に生きているか」を示す。特にチェンマイでは、仏像が単なる展示物ではなく、風・光・湿度・人の動きと共に呼吸する「場の重心」 として存在し、信仰と生活の双方が交差している。
FAQ 5|仏像を見るとき、最も注目すべき点は何か?技巧や材質よりも重要なのは、文明がその像にどのような「心の理想」を託したか である。姿勢、表情、光の扱い、重心、土地との関係など、その文明が「覚性」をどのように理解したかが像の核心に刻まれている。
FAQ 6|なぜ仏像は、宗教を超えて多くの人を感動させるのか?仏像の中心には宗教的命令ではなく、「人はどのように安定し、どのように生きたいか」という普遍的な問い がある。文明が違っても、人が求める静けさ・光・呼吸・秩序・大地との調和は共通しており、仏像はその願いの形として共鳴を生む。
FAQ 7|仏像鑑賞を始める人は、まず何を意識すべきか?細部より先に、「この像のどこが私の心を静かにしたか」という感覚を大切にすべきである。姿勢、輪郭、気配、光の落ち方――どれか一つでも心が止まる点があれば、それが観察の入口となる。
FAQ 8|著者が訪れた国立博物館・寺院の経験は、仏像理解にどう影響したか?著者は台北故宮・故宮南院、東京・奈良・京都の国立博物館、ソウル中央博物館、香港故宮、ハノイ国立歴史博物館、バンコク・チェンマイの国立博物館、新加坡国立博物館など、アジア十一の主要国立館を歩き、さらに各地の寺院で現場の空気に触れた。この経験により、仏像は 造形物ではなく文明の心の動きが形として現れたもの であるという理解が深まり、文明横断的な視点で仏像を見る眼が育まれた。
参考文献
- Boardman, J. (1994). The diffusion of classical art in antiquity. Princeton University Press.(ヘレニズム美術がガンダーラ造像に与えた影響に関する主要研究。)
- Huntington, S. L. (1990). The art of ancient India: Buddhist, Hindu, Jain. Weatherhill.(インド初期仏教美術と造像発展の古典的総合研究。)
- Quintanilla, S. R. (2007). History of early stone sculpture at Mathura. Brill.(マトゥラー造像史の決定版とされる研究。)
- National Museum of India. (2015). Gupta art: Golden age of Indian classical sculpture. Government of India.(グプタ朝仏像の美学的特徴をまとめた公式出版物。)
- Smithsonian Institution. (2003). The arts of Gandhara: A crossroads of culture. Freer Gallery of Art & Arthur M. Sackler Gallery.(文化交差点としてのガンダーラ仏教美術を扱う権威資料。)
- Tokyo National Museum. (2010). Masterpieces of Buddhist sculpture. Tokyo National Museum.(日本国立博物館による仏教彫刻の標準的作品集。)
- National Palace Museum. (2016). Buddhist art in the National Palace Museum. National Palace Museum.(台北故宮が所蔵する仏教美術の体系的概説。)
- Musée Guimet. (2004). Buddhist art: In search of serenity. Musée Guimet.(文明横断的視点から仏教美術の精神性を探求した出版物。)
- UNESCO. (2012). Buddhist art along the Silk Roads: Cross-cultural transmission and transformation. UNESCO Publishing.(シルクロードを通じた仏教美術の交流・変容に関する国際的研究。)
- Zürcher, E. (1980). Buddhism across boundaries. Brill.(仏教文化の越境・拡散と造像差異を論じた重要文献集。)